「正しい答え」を探してしまう本当の理由

窓辺で考え込む女性。「正しい答え」を探し続け、自分で決められない状態をイメージした写真。 生き方・選択

LINEの下書き画面を、開いては消す。

「これってどうなん?」

途中まで打って、結局消してしまう。

相手を困らせるかもしれないし、
こんなことも自分で決められないのかと
思われるかもしれない。

そう思いながらも、指はまた
同じ相手のトーク画面を開いている。

仕事を辞めるべきか。
この人との関係を続けるべきか。
今の選択で本当にいいのか。

考えても考えても、答えが出ない。

そういうとき私は、友人に、本に、
ときには占いに答えを求めていました。

誰かが「あなたはこうしたほうがいい」
と言い切ってくれたら、
どれだけ楽だろうと思っていたんです。

教えてもらった答えは、なぜか長続きしない

「辞めたらいいんちゃう?」

友人にそう言われて、そのときは
「そうか、辞めていいんだ」
とホッとします。

肩の荷が下りたような気がして、
その日は安心してよく眠れる。

でも数日経つと、
また同じ問いが戻ってくる。

今度は別の友人に、別の答えを求めて。

これを何度も繰り返して、
あるとき気づきました。

答えそのものが欲しかったのではなく、
「これでいいんだ」と自分の中で
納得したかったんだと。

納得とは、
頭だけで理解することではなく、

その選択を自分の心と身体が
「これでいい」と受け入れている状態
です。

友人に
「辞めたらいいんちゃう?」と言われて、
頭では「そうか」と分かった気がしました。

でも心と身体は、まだ受け入れて
いなかったんだと思います。

だから数日経つと、
同じ問いがまた顔を出してきたんです。

人はなぜ、誰かに答えを求めてしまうのか

誰かに答えを求めるとき、
私たちは「答え」が欲しい
だけではないのかもしれません。

振り返ると、
私もどこかでこう思っていました。

うまくいかなくても、
『この人もそう言っていたから』
と思える。

そう思えれば、一人で決めるより
少しだけ安心できる気がしたんです。

一人で決めるということは、
その結果も自分で引き受けるということです。

もしうまくいかなかったら。
もし間違っていたら。

その重さを一人で抱えるのは、誰だって怖い。

だから人は、答えそのものではなく、
一緒に背負ってくれる人を
求めてしまうことがあります。

それでも、その選択を生きるのは、
結局自分です。

納得していないまま選んだ道は、
思っている以上に苦しいものでした。

そして同時に気づいたのは、
答えを外に求め続けている間、
実は「決めないこと」を自分で選んでいた、

ということです。

木々に囲まれた遊歩道。自分の中の答えや納得へ向かう道をイメージした風景。

本当の答えは、見えなくなっているだけ

そもそも「納得している」とは、
どういう状態のことでしょうか。

私の実感では、こうです。

決めたあと、誰かに説明しなくていい。

「本当にそれでいいの?」と聞かれても、
慌てて言い訳を探さなくていい。

他の選択肢のことを、もう考えなくなる。

そして何より、決めた瞬間、
それまで気づかなかった体の力が、
ふっと抜ける。

逆に「なんとなく」で決めたときは、
決めたあとも心のどこかで
「本当にこれでよかったのか」
という声が鳴り続けます。

誰かに聞かれるたびに、また説明を
組み立て直さないといけない。

その落ち着かなさこそが、
「なんとなく」の正体です。

答えが出ないとき、たいてい頭の中には、
いくつもの「こうあるべき」が
渦巻いています。

親の期待、世間の常識、
過去にうまくいった人のやり方。

それらの声が大きすぎて、
自分がどう感じているかという、

いちばん静かな声が
かき消されているだけなんです。

外の答えを探すのをやめて、
その静かな声に耳をすませたとき、

初めて「なんとなく」ではなく
「これでいい」という感覚に出会えます。

一度そこに辿り着くと、
迷わなくなるというより、
迷っても自分の感覚に戻れるようになります。

以前、ある方からいただいた言葉が、
ずっと心に残っています。

「その先の答えが欲しかった。」

アンケートでいただいたその言葉を
読んだとき、はっとしました。

私が渡せるのは、あなたの中に
すでにあるものを整理して
お返しすることだけです。

渡す前提として、まず自分の中を
覗いてもらう必要がある。

でも、その覗く作業自体が、
実はいちばん怖くて、

いちばん後回しにされやすいもの
なんだと、そのとき気づかされました。

外に答えを求める癖がある人ほど、
自分の中を覗く前に、
答えが降ってくることを期待してしまう。

でも答えは、覗いた分だけしか返ってきません。

自分の中を覗くというのは、
自分が本当は何を望み、
何を怖がっているのか
を見ることです。

見たくないものや、不都合な本音に
出会うかもしれない。

だから怖い。
外に答えを探している方が、ずっと楽なんです。

迷いを止めるのは、誰かの答えではなく、自分の納得

私がフラワーエッセンスや
タッチフォーヘルスという
アプローチを使ってお手伝いしているのは、
答えを差し上げることではありません。

むしろ逆で、
あなたの中にすでにある声を、
聞こえる状態に整えることです。

そこにあるのは、
慰めでも、免罪符でもありません。

「あなたのせいじゃない」と言って
楽にする関わり方も世の中にはありますが、

それでは結局、また次の答えを
外に探しに行くことになってしまう。

そうではなく、自分の中の答えに
自分で辿り着き、自分で引き受けて動く。

そのための時間と場を、
私は用意しています。

もし今、誰かに答えを教えてほしいと
感じているなら。

その答えを外に探す前に、
少しだけ立ち止まって、
自分の中を覗いてみてください。

きっと、思っているより早く見つかります。

結局のところ、答えを探すというのは
こういうことなんだと思います。

自分が納得する生き方をする。

たったそれだけのことに、
私は何年もかかりました。

人は、正しい答えを見つけたときではなく、
自分が納得できたときに、
初めて前へ進めるのだと思います。

だから私は、答えを渡す人ではなく、
あなたが自分で納得できる場所を、
一緒につくる人でありたいと思っています。


私がどんな想いでカウンセリングをしているのか、
詳しくはこちらにまとめています。

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