「自分を後回しにしない方法」を探して、
この記事にたどり着いた方も多いかもしれません。
でも、この記事で書きたいのは、
方法よりも前の話です。
私は長いあいだ、
自分を後回しにしていることに、
気づいてすらいませんでした。
自分への矢印が、そもそもなかった
先日、知人からあるお誘いを受けました。
その頃は少し疲れ気味で、
テンションの高いイベントには
気持ちがついていかず、
正直あまり気が進みませんでした。
それなのに頭の中にあったのは、
「どうすれば角が立たずに断れるだろう」
ということだけ。
そのとき、ふっと思ったのです。
「あれっ、私は本当はどうしたいんだっけ?」
その瞬間、自分でも驚きました。
誘いを受けたとき。
頼まれごとをされたとき。
相談を持ちかけられたとき。
私はいつも、
「相手はどう思うだろう」
「どう答えれば嫌な思いをさせないだろう」
そんなことばかり考えていました。
でも、「私はどうしたい?」
という問いだけは、いつも抜け落ちていたのです。
人との関係を円滑にするために
相手を気遣うことは、
大人として当たり前だと思ってきました。
だから、人への配慮の矢印は自然と向いていました。
でも、自分への矢印は、そもそもありませんでした。
弱かったわけでも、
間違っていたわけでもありません。
ただ、自分に目を向けるという
発想自体が、私の中にはなかったのです。
無意識に、自分を押しのけていた
振り返ってみると、
「我慢していた」というのとも少し違います。
我慢は、
自分の気持ちに気づいたうえで、
それでも別の選択をすること。
でも私の場合、そもそも自分の気持ちに
気づいてすらいませんでした。
無意識のうちに、自分の本音を
押しのけていたのだと思います。
振り返ると、私には思い当たることがあります。
私は三人兄弟の真ん中でした。
これはあくまで私自身の振り返りですが、
親の目が届きにくいと感じることがあり、
甘えるよりも、
「なるべく親に迷惑をかけないように」
「なるべく親の手を煩わせないように」
そんなことを自然と考える子どもでした。
そうして過ごすうちに、
相手が何を求めているか、
どうすれば喜んでもらえるかを
優先することがいつの間にか
当たり前になっていったように思います。
その習慣は、大人になってからも
私を助けてくれました。
人への気配りができることは、
決して悪いことではありません。
でもその一方で、「私はどうしたい?」
という問いを、
自分に向ける習慣までは育ちませんでした。
もしかすると心のどこかに、
「ありのままの自分では受け入れてもらえない」
そんな思い込みがあったのかもしれません。
人を大切にすることと、自分を犠牲にすることは違う
この出来事を通して気づいたのは、
人を大切にすることと、
自分を犠牲にすることは、
まったく別のものだということです。
自分の気持ちを尊重したうえで断ることも、
相手への誠実さの一つなのだと
思えるようになりました。
相手に合わせ続けることだけが
優しさではありません。
むしろ、自分にも相手にも、
本当の意味で誠実では
なかったのかもしれません。
自分にも「YES」と言える選択をすることは、
人との関係を壊すことではなく、
むしろ長く大切にするための
土台なのかもしれません。
気づいたあと、変わったこと
気づいてからは、反射的に
返事をすることが少なくなりました。
一呼吸置いて、
「私は今、本当はどう感じているんだろう」
と、自分に問いかけるようにしています。
頭で正解を探すというより、
身体はどう反応しているだろう、と確かめます。
胸が少し苦しい。
なんとなく肩の力が抜ける。
そんな小さな感覚に
耳を澄ませるようになりました。
そうして身体の感覚を確かめていると、
自分でも気づいていなかった
本音が見えてくることがあります。
もちろん、今でも気づくと反射的に
行動しそうになることがあり、
簡単ではありません。
それでも、この小さな習慣が、
自分を後回しにしない練習になっています。
おわりに
「自分を後回しにしない方法」は、
世の中にたくさんあります。
深呼吸をする。
ノートに書き出す。
誰かに話を聞いてもらう。
どれも役に立つ方法だと思います。
でも、その前に一つだけ。
自分を後回しにしていることに、
そもそも気づけているでしょうか。
気づいていなければ、どんな方法も届きません。
だからまずは、
何かを決める前に一度だけ、
自分へ問いを向けてみてください。
「私は今、本当はどうしたい?」
その問いを持つことが、
自分を後回しにしないための、
第一歩なのだと思います。
もし、この記事を読んで
「これは私のことかもしれない」
と感じる瞬間があったなら。
それは、後回しにしてきた自分と、
もう一度向き合うタイミング
なのかもしれません。


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