飽きっぽい私が、自分のままで進むと決めた理由

水辺の岩場を慎重に歩いて渡る子犬 自己理解

また聞かれる、その質問

最近ヨガはどうなったん?
そういえば、数年前に取ったあの資格は?

身内から間髪入れずに飛んでくる質問。
私はそれに、ボソボソと力なく答える。

興味はたくさんある。
やってみたいことも、次々と湧いてくる。

でも——
しばらくすると、ふっと気持ちが冷めて、また別の何かを探し始めてしまう。

そんな自分に、「またか」とため息をつきながら、
「これは特性だから仕方ない」と自分に言い聞かせ、やり過ごしてきた。


「普通」という重石(おもし)

この国では昔から、何か一つのことを
極めるのが美徳とされてきた。

たとえば、イチロー選手のように、ひとつの道をコツコツ積み重ねる姿は称賛される。

それに引き換え——
習い事はいくつもつまみ食いするものの、どれも長くは続かない。

気がつけば、また別のことに興味が移っている。
「結局、何も身についていない…」と思うこともあった。


期待外れのアドバイス

あるとき、いつも穏やかで信頼できる知人に相談してみた。

自分を変えるための、画期的な方法を教えてもらえると期待して。

するとその人は、あっさりこう言った。

「そのまま行けば?そういう人なんだから」

正直、ひどくがっかりした。
「他人事だと思って、あ~あ、何だかな」
そんな複雑な気持ちが残った。


「がっかり」の先に見えたもの

でも時間が経って振り返ると、やっと分かった。
私はずっと、自分ではない「誰か」になろうとしていたのだ。

あの言葉は、突き放すものではなく、
「もう、自分以外の誰かになろうとしなくていい」
という意味だったのだと。


自分のまま進むという選択

結局、人は自分でしか在れない。

興味が移るたびに、何も身についていないように感じても、それも含めて私なのだ。

「続かない」ことを欠点として責める必要はない。


静かな決意

いくつもの分野に手を出すことで、見えることがあり、短期間でも得たものは確実に蓄積される。

だから今も私は、次の興味に手を伸ばす。
それが正解かどうかは、まだ分からない。

飽きっぽい自分は、欠点でも中途半端でもない。
少しずつ、自分のまま進むことを許していく。
そう決めたとき、ようやく真の人生が始まった気がした。


終わりに

正解は誰にも分からない。

だが、少しずつ自分のまま進むことで、見える世界も感じ方も広がっていくのかもしれない。

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